こんにちは。サポテックラグとメキシコ雑貨のお店「ナダ」の山口です。
さて、前回の続き、『チョコレートの歴史』の後編を読み解いていきます。
今回は、飲み物だったチョコレートがスペインのメキシコ征服によってヨーロッパに広がり大衆の
食べ物にまでなった内容をお伝えします。では、どうぞ~。

チョコレートの効果?健康にいいのか?

オアハカのチョコレート量り売り

コーヒー・紅茶・チョコレートどちらも我々の日常になくてはならないものになったが、
色々と共通点がある。
飲み物であること。どれもヨーロッパにほぼ同じ時期に入ってきたこと。
そして、3つともカフェインが含まれており常用性や生理的な作用があること。

この常用性や生理的な作用がある点について、多くの人が興味を持っているようだ。健康を害するのか
それとも健康にいいのか?さらに、媚薬的な効果があるかということも気になる。
私自身に関しては、チョコレートをたくさん食べると、なにか、こう興奮するというかムズムズするような気がする。いろんな意味で元気になるような
気がする。みなさんは、どうだろうか?
で、本書によれば、もっとも信頼性のある見解がフランス医師エルヴェ・ロベールの「チョコレートの医学的効用」だ。ロベール医師によればカカオの豆の1〜2%に生理機能に影響を及ぼす物質があるらしい。その物質はアルカロイドという物質でそのなかにカフェインとテオブロミンという物質が含まれている。
ちなみにアルカロイドをウィキペディアで調べると「植物に存在し生理作用をもつ有機化合物。ニコチン、モルヒネ、コカインなど」と書かれている。
アルカロイドについて
そのアルカロイドを摂取すると動物に生理的な影響を及ぼすらしいが、チョコレートの場合は1〜2%なので人体に全く問題ないらしい。

テオブロミンは、血管を広げたり、利尿効果をもつ。ざっと、テオブロミンの効果を記すと下記のようだ。
・大脳皮質を刺激し、集中力、記憶力、思考力、やる気を向上させる
・ストレスを軽減させ、精神をリラックスさせる
・自律神経のバランスを整える

また、チョコレートにはカフェインも含まれているが、コーヒーほど多くはないという。ひところ、日本でもカフェイン中毒で死者が出たというニュースが出ていたが、コーヒーを飲みまくるだけではああならないらしい。
スタバのコーヒーを1日10杯飲んだところで、生命に関わることはないと思う。
テオブロミンはカフェインよりずっと薬理作用が弱い。また、中枢神経系を刺激するがとても穏やかに効いていくという。
このような天然の物質の生理的な影響は麻薬ではない限り人々に与える影響は流動的らしい。つまり個人差があるのだ。
チョコレートを媚薬と思っている人は、それ通りの効果が現れるかもしれないし、パワーの源と信じている人はそうなる可能性が高いということだ。
ちなみに、最近の研究では、カカオに含まれるポリフェノールは、
・血圧改善 カカオポリフェノールは血管を拡張させる
・アンチエイジング 抗酸化作用で活性酸素を除去する

最近、日本のチョコレートのパッケージにも上記のような効果を謳う文言が記載されている。
そのような効果を
信頼していいいと言えるだろう。

いづれにせよ、チョコレート(中南米)、コーヒー(アフリカ)、紅茶(インド)は時を同じくして、新世界から旧世界に輸入された。
どれも、嗜好性が高く、尚且つ体にも良い美味しい飲み物がヨーロッパ人を虜にしていったのは間違いないだろう。

チョコレートが広まった理由

西インド渡来の素晴らしい飲み物、チョコレートを、ビショップスゲート通り、クイーンズヘッド小路にて販売中。店主は以前、グレイスチャーチ通りやクレメント教会境内にも店を出していたフランス人で、わが国で最初にチョコレートを売り出した人物。その場でも飲むのもよし、材料を格安で買うのもよし、用い方を伝授。
その優れた効能はどこでも大評判。万病の治療、予防に効果あり。効能を詳しく解説した本も同時に販売。

『ニーダムの政治報道』1958年の6月12〜23日号の広告

これまで紹介している通り、チョコレートは大航海時代に新大陸(メキシコ)を発見したスペインの侵略者達が、
発見して母国に持ち帰り、ヨーロッパ中に広まった。歴史上では、エルナン・コルテスがスペインに初めて紹介したという説があるが、はっきりとした証拠はないようだが、良くも悪くもコロンブスがメキシコを発見したおかげでチョコレートが我々の口に運ばれるようになったことは間違いない。
正確には、1585年にベラクルスからスペインのセビーリャに輸出されここからチョコレートの新しい時代に入る。

グアテマラのケクチ=マヤ族がスペインに連れられ豪華な貢物の一つが泡立てたチョコレートだった。王族が初めて口にする滑らかで甘く刺激的な美味しさはヨーロッパ中に広まるのにそう時間がかからないのは容易に想像がつく。
隣のイタリアでは料理にも使われ、イギリスではチョコレートハウスなる社交場ができ、フランスでは
チョコレートをさらに美味しく飲むための道具「ショコラティエール」まで開発した。ちなみに、フランスの哲学者ヴォルテールは自らの飲み物の購入記録をつけていて、「チョコレートを24回、コーヒーは20回、紅茶は8回買った」と記載している。同じくフランスのエキセントリックな伯爵、マルキ・ド・サドは、大のチョコレート狂だった。
監禁されることが多かったサド侯爵は、いつも次のような差し入れを妻に頼んだ。
「箱入り粉末チョコレートとモカ・コーヒー」
「カカオバター座薬」
「クレーム・オ・ショコラ」
「半ポンドの箱入りチョコレート・ボンボン」
「大型チョコレート・ビスケット」
「バニラ・パスティーユ」
このように、一部の人たちの貴重な飲み物だったこと、料理に使われたり媚薬的な効果や薬用効果が期待されることで
ヨーロッパ中に広まった。

中世ヨーロッパのチョコレートの嗜み

カカオとチョコレート飲料はルネサンス時代を経て、バロック時代に入るとチョコレートは
もてはやされた。しかし、メキシコでも特権階級の人が飲むように、ヨーロッパでも限られた人たちの
飲料だった。なにしろ、中世のヨーロッパではチョコレートは薬として重宝された。
コーヒーも紅茶もかつての中世では薬物として扱われていたことを考えると、そんなに驚く必要はないかもしれない。
チョコレートがヨーロッパに広まったことで思わぬ副産物も生まれた。コップの受け皿ソーサーだ。正しくはマンセリーナという。通常、チョコレートは高い位置から注ぐがその時に、チョコレートが飛び跳ねてしまい、貴族のドレスが汚れてしまったため、コップから溢れないお皿を考えたのだ。この発明者は、マンセラ侯爵といい、マンセリーナの語源になっている。

飲みものから食べ物に

B・W・ミニフェによるチョコレート製造工程


チョコレートの製造における最も画期的な発明は、前編で紹介した1828年のココアの発明だ。
覚えているだろうか?オランダの科学者ハウンテンが開発した脂肪分がほとんどない
チョコレート粉末だ。
この発明によって、イギリスの元医師ジョセフ・フライは、ココアの粉末をカカオバターと混ぜることで滑らかなチョコレートペーストを開発した。これが世界初の本格的な「食べる」チョコレートだった。
新しいチョコレートの歴史が開かれたのだ。
1900年代初頭まで、彼の起こしたチョコレート会社「J.S.フライアンドサンズ」は世界最大のチョコレート工場だった。

まるでフォード!ハーシーチョコレートの成功

アメリカのペンシルバニア州にチョコレート通りと呼ばれる道があるらしい。
そこには、今でも世界で最も大きいチョコレート企業のハーシー社の本社工場がある。
彼は、チョコレート業界のヘンリー・フォードと呼ばれチョコレートの大量生産に成功した。
最も有名なチョコレートは「ハーシーのキスチョコ」というがご存知だろうか?
銀紙で包まれた雫型の一口で食べられるかわいいチョコレートだ。

彼はチョコレートそのものよりも、製造する機械に着目し安定した品質のチョコレートをたくさん
作ることができるようになった。ヘンリーフォードさながら天才というしかない。しかも、近くに牧場を作り、
キューバに砂糖畑を作り、自社工場で一貫生産して、街の一角がチョコレートの町となっているらしい。自動車業界顔負けの手腕である。

神のものから紙のものへ

その昔、神の飲みものとして重宝されていた黒くほろ苦い飲みものは、今スーパーの棚に
きらびやかなパッケージに包まれて陳列されている。

グリーンアンドブラックという会社の「マヤゴールド」というチョコレートがあのゴディバより
高くアマゾンで売られている。100%無農薬のカカオを使い、マヤ族の手によって栽培されたカカオであり、なおかつ利益の多くがマヤ族に渡る仕組みになっているという。
今でもメキシコにマヤの末裔が生きていることを考え、彼ら彼女らが決して
豊かな生活を送っていないことを考えると、マヤゴールドが多少高くても、多少豪華な紙に
包まれていても、あまり詮索せずにお金を払うことにしよう。